株式会社ユーハイム(本社: 神戸市中央区港島中町7-7-4 代表取締役社長:河本英雄 以下、ユーハイム)は本日、2023年8月14日(月)に「無添菓宣言│/0(スラッシュゼロ)」を宣言します。ユーハイムは、日本での創業100周年を迎えたことを機に、私たちのお菓子を「無添菓(むてんか)」と名付けます。
100周年の期間は、創業者カール・ユーハイムが日本に永住をすることを決心し、自身初めての店を横浜にオープンした 1922年3月から、関東大震災を経て横浜から神戸に居を移しお店を再興する、1923年11月をもとに20か月間とします。
- ユーハイムが 50 年前に見つけた菓子作りの哲学「純正自然」
1960 年代の高度成長期、世の中は皆が豊かさに向かって突き進む時代でした。日本中に菓子を届けるため、商品を大量に効率よく生産しようとした結果、ユーハイムも菓子作りに食品添加物を使用していました。
しかしある時、ユーハイムは食品添加物の使用をやめようと決めます。そのきっかけは、創業者カール・ユーハイムの妻であり、カールの死後はユーハイムの社長ともなったエリーゼ・ユーハイムが、工場の巡回中に怒りをあらわにしたことでした。当時のユーハイムは、生産性と効率に重きを置いていました。そんな工場の様子をエリーゼは見るなり「コンナ菓子、ワタシオカシイ」と言って、帰ってしまったそうです。それは「もっと純正な材料を使って、一つ一つちゃんと手作りを大切にして、自然な味わいを追求しなさい。それが、創業者カール・ユーハイムが作ったお菓子であるはずです。」という社員たちへのメッセージでした。この時既に亡きカール・ユーハイムが作ってきた菓子は、確かに彼の技術を活かし、生産性よりも丁寧な仕事ぶりを大切にしていました。
社員たちは彼女の思いを汲み取り、1969年には「食品添加物を使わず、自然の原料だけで作る」という菓子作りの哲学を「純正自然」という4文字の言葉で表現し、取り組むことを決めます。それは当時の世の中の常識に対する挑戦であり、食品添加物に頼らない、職人による菓子作りを復活させようという決意表明でもありました。
- 困難を極めた「純正自然」への道のりと菓子職人の挑戦
1990年代に入ってバブル経済が崩壊すると、ユーハイムは世の多数の企業と同様に、売上が急落しました。元々は効率のために使っていた食品添加物を手放すという決断は、むしろ生産性に逆行した取り組みでしたが、そうした苦境においても、職人たちは一丸となって純正自然を目指しました。
1990年代半ば、ユーハイムはバタークリームケーキの「フランクフルタークランツ」から乳化剤と膨張剤を抜きました。すると、お客様の舌は敏感で「生地がボソボソになったのでは?」という指摘をいただくことがありました。職人たちはこの状況を受け「菓子職人の誇りにかけて、何としてもおいしさを取り戻そう」と、菓子の作り方を見直し、技術を取り戻そうと改善に努めました。その結果、社内でも「むしろ以前よりもおいしくなった」と自信を持って、フランクフルタークランツを販売することができるようになりました。また、2011年には、ユーハイムの定番商品であるバウムクーヘンに使っているバニラ香料をバニラビーンズに変更。職人たちは、まじりけのない自然な味わいを出せる材料の選別にもこだわりました。
こうして一つ一つの菓子を見直していきましたが、この頃に純正自然「未達」として残されたのは、様々な理由から食品添加物を使わないことに踏み切れずにきた商品ばかりになりました。
代々の職人たちがトライ&エラーを繰り返し、「おいしさ」という正解に辿りつこうと日々もがき続けました。それでも純正自然の壁を乗り越えるには、まだまだ時間がかかるのだと、社員皆が痛感していました。
- ユーハイムが100年目に辿り着いた菓子「/0(スラッシュゼロ)」と「無添菓(むてんか)」
純正自然を掲げて50年後の2020年3月4日。ついに看板商品のバウムクーヘンを純正自然化しました。この時の最後の砦は外側のチョコレートコーチングでした。乳化剤不使用の当社オリジナルのコーチングを作るために、職人たちが、原料メーカーと協力して取り組み、開発に成功したのです。バウムクーヘンが純正自然化したタイミングで、当社は「純正自然宣言」をし、自社工場で作るギフト商品(箱に入った日持ちのする菓子)の製造工程に食品添加物を使用しないことを宣言しました。
しかし、過去の例と同じく、ただ食品添加物を使わなくするだけで、お菓子が十分においしくなるという訳ではありません。
菓子に食品添加物を使わないことで、職人は素材の味わいを引き出しました。しかし、例えばパウンドケーキは食品添加物を使用しなくなったために、製造ロットによって出来上がりのサイズに差が出てしまうことがありました。バウムクーヘンのチョコレートコーチングでは、乳化剤を使用していないためドロドロになりやすく、工場の機械に支障が出ることもありました。
生産の難易度が上がり、お客様から売場でご指摘をいただくこともある中、菓子職人たちにとって「昔の方がよかった」と言われてしまうことは、何よりも悔しいことでした。社内でも「こんなに頑張っていても結果に結びつかないのなら、本当にやる意味はあるのだろうか」と、半ば諦めそうになることさえありました。
それでも50年という長い月日の中で抱え続けた「純正自然」という哲学を捨て去ることはできませんでした。代々の職人たちが継承してきた技術を使って「おいしさ」を進化させるにはどうすればいいのか。職人たちは疑問を抱えながら、ひとつひとつの菓子と向き合いました。
例を挙げれば、食品添加物がなく安定しない生地なら、少ないロットで生地を作ることを繰り返すことにしました。また、ただ食品添加物を使わないということに満足はせず、焼き菓子に大切なバターや卵の香りやコクが感じられるレシピを研究しました。更にお菓子を口にする時、一番おいしく、満足感を感じられる最適なサイズや厚みは何かも検証をしました。材料は厳選、ユーハイムオリジナル仕様の原料はメーカーと微調整を繰り返すなど、食品添加物の有無に関わらず、工程・レシピ・材料・味・形といった菓子のすべての要素を見直したのです。
更に、日々の製造ラインの中で、昨日よりも今日、今日よりも明日と、お菓子のおいしさを絶えず磨きこみ続けました。
そうして生まれた、油脂はバターオンリーで、卵の持つ起泡力を活かしたしっとり・ふんわりした生地のパウンドケーキ「純正バターパウンドケーキ」の発売を皮切りに、2022年の日本創業100周年のタイミングで数々の商品をリニューアルしました。
- 8月14日、ユーハイムは「無添菓宣言│/0(スラッシュゼロ)」を宣言します!
法律により、消費者に販売される食品にはパッケージに品質表示をすると定められています。純正な素材と、自然な味わいにこだわった私たちの菓子は、品質表示の「原材料名」の欄に、食品添加物があることを表す「/(スラッシュ)」以降がありません。つまり、「/0(スラッシュゼロ)」です。「/0」は、ユーハイムが食品添加物を使わず、素材にこだわったお菓子を作っている証であり、私たちの誇りです。「/0」の菓子作りには、職人の技術が不可欠でした。職人たちの手により生まれ変わった商品が、ようやく店頭に揃ったのです。
来たる2023年の11月1日には、現在本店を構える神戸での100周年を迎えます。
100年を迎えるに当たり、 代々の職人の系譜の中で磨き込まれてきた「純正な素材を使った、自然な味わいである、/0のお菓子」を「無添菓(むてんか)」と名付け、「ユーハイムのお菓子は無添菓である」と宣言します。
そしてお客様へ向け「昨日より今日、今日より明日と次の 100 年に向けて更にお菓子をおいしくし続けていく」と誓うことを決めました。
- ユーハイム100年の歴史について
・第一次世界大戦中の1919年に作られた日本初のバウムクーヘン
1909年、当時ドイツの租借地であった中国の青島にて、ユーハイムの創業者カール・ユーハイムは知人から菓子店を譲り受けて経営していました。しかし、第一次世界大戦の勃発に伴い、彼は非戦闘員であるにも関わらず日本へと捕虜として連行され、エリーゼと離れ離れになります。1919年、広島の似島の収容所にいたカールは、捕虜がその技術を活かして作った作品の展示販売会に参加し、会場の物産陳列館(現 原爆ドーム)で日本初のバウムクーヘンを販売しました。バウムクーヘンは日本人に瞬く間に売れていき、この経験を通じて彼は自分の腕が日本で活かせると確信しました。
・1922年に横浜に店をオープン 関東大震災で店舗を失うも神戸で再起
カールは戦後に妻子を日本に呼び寄せると、銀座で製菓主任として雇われたのちに、横浜の山下町にて初めての自身の店「E・ユーハイム」をオープンします。「E」はエリーゼの頭文字です。菓子や軽食が人気を集め、横浜の人気店となりました。
順調な日々もつかの間、関東大震災の被害をうけ店舗を失ってしまいます。廃墟となった横浜から避難船に乗り込み神戸へと向かいましたが、先の見通しが立たない状態でした。菓子屋以外の仕事をするほかないと諦めかけていたとき、ばったりロシアの有名な舞踏家アンナ・パブロバ夫人に遭遇しました。震災の話から近況まで話すうちに、彼女から「それなら、この家で店をひらきなさいよ。」と言われます。
この会話をきっかけに1923年11月、神戸に「Juchheim‘s」が開店しました。設備が整わない中での開業ではありましたが、機械がなかったとしても手仕事で丁寧に作るユーハイムの菓子は多くの人々に好まれたのです。神戸のユーハイムはこの店から始まりました。
・第二次世界大戦 終戦前日のカールの逝去、エリーゼの社長就任
やがて日本は第二次世界大戦に突入します。もとより戦争に対して忌避感の強かったカールでしたが、店で働いていた職人も我が子も徴兵され、戦時統制の中で菓子も作れなくなり、少しずつ心身を病んでいきました。エリーゼは献身的に彼を看病しましたが、療養先の六甲で終戦前日の1945年8月14日に亡くなります。カールはエリーゼに「私は死にます。けれども、平和はすぐに来ます」という言葉を残して、菓子作りにささげた生涯に幕を下ろしたのでした。
終戦後、エリーゼらユーハイム一家はドイツへと強制送還されました。しかし、戦争を生き延びたカールの弟子の職人たちが再結集し、何とか「ユーハイム」を再興しようと会社を設立します。そしてドイツにいるエリーゼへ「日本に戻ってきてください」と願いをしたためた手紙を出しました。
彼らの熱意にこたえたエリーゼは、60歳を過ぎて再来日、ユーハイムの社長に就任し、以降亡くなるまで日本で暮らしました。
エリーゼはカールの菓子作りの在り方を大切にしていました。彼女が残した言葉「身体のためになるから美味しい」「お母さんの味、それは自然の味」(お母さんが子どもに与えるような味こそが、自然な味わいである)は、創業者カールの姿勢に並び、今でもユーハイムの社員の指針となっています。
カール・ユーハイムとエリーゼ・ユーハイムという創業者夫妻から始まり、2022年に日本創業100年を迎えた当社は「お菓子には世界を平和にする力がある Peace by Piece」というパーパスを掲げました。
次の100年へ向け、このパーパスを胸に、「無添菓」のおいしさを追求し続けます。